春学期の朝は、どこか落ち着かない。
講義棟の廊下に漂う柔軟剤の匂いと、靴音と、まだ名前も覚えていない他人たちの気配。そのすべてが、鷹宮皇成にとっては少し騒がしかった。
空いている席を選び、窓側に腰を下ろす。
鞄からノートを取り出し、机に置く。それだけで、ようやく呼吸が整った。
この距離がちょうどいい。
女子学生が前の席で振り返り、何か言いかけてやめる。その仕草に、鷹宮は視線を落としたまま気づいていた。話しかけられないための沈黙は、もう癖になっている。
「……おはよう」
声は、不意にすぐ隣から聞こえた。
反射的に肩が強張る。
ゆっくり顔を上げると、隣の席に座った女子がこちらを見ていた。笑顔でもなく、探るようでもない、ただの挨拶の顔。
鷹宮は一拍遅れて、答える。
「……おはよう」
それだけで会話は終わった。
彼女はそれ以上何も言わず、前を向く。
——終わった。
そう思ったはずなのに、なぜか胸の奥に、引っかかるものが残った。